なすび好き大学生の気まぐれブログ

なすび好き、奈良県民(今はアメリカなう)の大学生が、自分の好きな時に好きなテーマで、いろんなこと(超真面目なこと、専門的なことからバカなことまで)を書いてみる、気まぐれブログです。気まぐれなんで、更新頻度も気まぐれです。

学問・教養はなぜ大切なのか。そして、大学の授業はなぜ大切なのか。

 どうも、こんにちは。山形です!

 

8月になったんで、そろそろ大学生は春学期が終わって、夏休みって感じですよね。

「休み満喫するぜモード」全開だとは思うんですけど、ここでちょっと大学生活について振り返ってみてほしいなって思ってます。

 

特に大学の授業について。

 

みなさん、どんな風に思ってますか?

 

 

 

初めて大学の授業を受けた大学1年の人や、大学2年目に突入した2年の人の中には、「あれ、大学の授業おもしろくないな。これなら他の活動に力入れた方が良くない?」なんて思ったりしてる人、

3年や4年の人でも、「大学の授業とか受ける意味特にないよ」なんて思ってる人、結構いたりしませんか?

 

 

僕の今までの経験上、正直、「大学の授業面白くない」「そこまで大切でもない」っていってる人が9割くらい占めてるんじゃないかって思ってます。

そう考えること自体は別に自由だと思うんですが、僕は、それってすごくもったいなくない?、大学の授業すげえ大切だと思うけどな~なんて考えてます。

 

 

そこで、今回のブログでは、学問・教養がなぜ大切なのか。そして、大学の授業がなぜ大切なのかについて書こうと思います。

(僕もこの大切さに気付くまで、散々授業をすっぽかしてきた人なので、「お前がゆうな」って言われそうですが笑)

 

※前置きしておきますが、かなり長いです汗(所要時間15分くらい?)

個人的にこのトピックは大学生に最も伝えたい内容なので、かなり気合を入れて書きました。

長いですが、読んで損はないと思うので、頑張って最後までつき合ってください。

特に、大学の授業つまんねえって思ってる人ほど読んでみてください!

そして、よかったらシェアしてください。一人でも多くの大学生が学問、教養、授業の大切さに気付いてくれればと思ってます。

 

 

  • 「学問」「教養」ってなんだ?

まずは、学問と教養がなぜ大切なのかという話からはじめていこうと思うのですが、そうはいっても、「学問」「教養」ってどんなもの指すんだろうってところも結構曖昧で難しいものだと思うので、

まず最初に、「学問」「教養」ってそもそもなんだ?ってところから確認しますね。

 

「学問」とは何か

まずは「学問」から。

「学問」というとイメージとして、勉強することとか、専門分野を学ぶイメージですよね。

 

そのイメージは間違ってないですが、もっと細かく定義すると、

『自ら「問い」を立て、その「問い」を追求すること』

だと考えます。(あくまで僕がつくった定義です)

 

「学問」の漢字を見ても、

『「問」いを「学」ぶ』で「学問」

なので、この定義はあながち間違いではないと思います。

 

 

参考までに、学問とは何かについての引用を2つ載せておきます。

学問は、本当は、「教わる」ものではなく、「学ぶ」ものなのです。 もっといえば、「学び」かつ「問う」ものです。 自らの「問い」を立て、そのために「学び」、そして思索を深めることです。(『学問の力』佐伯啓思 ちくま文庫より)

 

学問とは広い言葉で、精神を扱うものもあるし、物質を扱うものもある。 修身学や宗教学、哲学などは精神を扱うものである。 天文、地理、物理、化学などは物質を扱うものである。 いずれもみな知識教養の領域を広くしていって、物事の道理をきちんとつかみ、人としての使命を知ることが目的である。 知識教養を広く求めるには、人の話を聞いたり、自分で工夫をしたり、書物を読むことが必要だ。 であるから、学問をするためには文字を知ることはもちろん必要だけれども、むかしの人が思っていたように、ただ文字を読むことで学問だと思うのは見当ちがいである。(『学問のすすめ 現代語訳』 福澤諭吉 斎藤孝=訳 ちくま新書より)

 

「教養」とは何か

こっちもざっくりとしたイメージならみんな持ってるはずで、物事とか歴史についてのいろいろ知識みたいな感じってイメージがメジャーなのかなと思います。

 

それらのイメージをもっとしっかりと定義するなら、

『物事を考えるために必要な、幅広い分野における本質的概念や基礎的な知識』

と考えています。(こっちも僕個人の定義です) 

 

 

  • 学問と教養がなぜ大切か

では、「学問」と「教養」ってそもそもなんぞ?ということを確認したうえで、それらがなぜ大切なのかについてについて考えていきます。

 

学問はなぜ大切か

まず、学問がなぜ大切かです。

 

そもそもの学問ってなんのためにするの?って話ですが、

学問をするのは『これからの未来、そしてその中での自分たちの在り方を考えるため』だと僕は思ってます。(福沢諭吉がさっきの引用の中でいっている「人としての使命を知ることが目的」に近い)

 

そして、学問を通じて未来を見据えることで、よりよい選択をすることができる。

この選択が自分や周りの幸せにつながっていくと思うので、学問は大切だと思っています。

 

 

少し抽象的なので、補足しますね。

 

学問は『これからの未来、そしてその中での自分たちの在り方を考えるため』にするものだと僕は言いました。

 

例えば、

「これから人工知能が発達していくと、僕たちにどんないいこと・悪いことがあるんだろう」

「自分は人工知能を使ってどんなことができるようになるんだろう」

とかもっと突き詰めると、

人工知能が発達した社会で自分はどんな存在意義を持つんだろう」

などを考えるために、学問をするということです。

 

こういったことを考えることは、現時点において自分がよりよい選択をする手助けをします。

例えば、

人工知能が普及するとどうもこの仕事はなくなりそうだ。この仕事はやめておこう。」

人工知能を使えば、おそらくこんな社会になるな。だからこんなことが大切になるはず。今のうちにしっかり身に付けておこう。」

といったことなどが選択にあたると思ってます。

 

これはすごく単純な例ですが、実際にはもっと詳細な内容まで突き詰めて考え、もっと細かく有意義な選択がなされるはずです。

 

とにかく、未来を見据えて(自分にとっても、社会にとっても)よりよい選択を行うことで、自分や周りの幸せを生んでいけると考えています。

(社会にとってよりよい選択をとることは、マズロー欲求段階説における「自己超越欲求自己実現欲求のさらに高次に存在する欲求段階で、自分のエゴなどを超えて、コミュニティーの発展などを望む欲求)」を満たすことに繋がっているはず)

 

教養はなぜ大切か

次に、教養がなぜ大切かについてです。

 

教養は「物事を考えるために必要な、幅広い分野における本質的概念や基礎的な知識

と定義したように、あらゆる物事を考えるための土台だと思ってます。

 

 

ここで、日本の大学とアメリカの大学における教養教育にまつわる記事の一部を少し引用します。

「日本ではここ20数年、大学はより「実学志向」になるべきだ、という声が大きかった。その「お手本」にアメリカの大学の名が出ることも少なくありませんでした。

 ところが、当のアメリカの大学では、むしろまったく逆でした。一見「実学」的な先端科学の知識こそすぐに実社会で役に立たなくなる。自らの考え、自らの知のベースになった「教養」を豊かに学んだ方がはるかに役に立つんだ、という明確な教育方針を持っていたのです。」

business.nikkeibp.co.jp

 

ここで書かれているように、米国トップ大学では教養がかなり重視されています。

イギリス版のものも参考に載せておきますね。(イギリストップ大学でも教養教育はしっかり行われています。)

business.nikkeibp.co.jp

 

なんでも世界トップレベルに合わせるべきというわけではないですが、英米のトップ大学では教養が重視されているというか、半ば教養をつけることが常識になっている反面、日本では「実学志向」の傾向が強く、その重要性は英米に比べるとかなり低く見積もられている気がします。

 

では、なぜ、世界のトップレベル大学がここまで教養教育をしっかり行うのでしょうか。 

 

 

 

それは、「教養がいつの時代になっても使える、絶対に揺らがない知だから」です。

 

 

 

教養は何度も言っているように物事を考えるための土台であり、先人が積み重ねてきた知の塊みたいなものです。

だからこそ教養は決して陳腐化しません。

最初の記事にも書いてありますが、哲学や宗教学がまさにそうであるように、教養は学問分野の基礎にあたる部分。どれだけ時代の流れが激しくなろうとも、教養は揺らがない。

 

 

それが教養の大切な理由です。

定義通り、あらゆる物事を考えるための根っこにある知が教養ということです。

 

 

  • なぜ大学の授業が大切なのか

ここまで、学問と教養の大切さについて見てきました。

それらの大切さを理解したうえで、今度はなぜ大学の授業が大切なのかについて考えてみたいと思います。

 

といっても、答えは明確で、ずばり「大学が最も効率的に学問ができ、教養を身に付けることのできる場だから」です。

 

僕が学問や教養の大切さに気づいたのは、3年の春~夏あたりでした。

それまでは、こんなブログを書いている僕も大学の授業をさんざんサボっていました(笑)

 

でも、学問と教養の大切さに気付いた上で、冷静に考えてみると、大学時代って素晴らしい時期なんですよね。

というのも、いくらでも学問できるし、むしろ学問することが仕事。しかも、大学では専門家が授業というコンテンツを用意してくれて、体系的に知識を蓄えられるようなシステムができている。

 

おそらく、多くの人が学問の大切さに気付くのは社会人になってからか、もしくは気づかないか。

でも、社会人になってからその大切さに気付いてたとしても、たぶん、学問にさける時間ってそこまでないんですよね。

 

そう考えると、大学の授業ってすごい大切だと僕は感じるんですよね。(各授業をしっかり大切に思えるまで落とし込むのは少し大変ですが)

自ら「問い」を立てて、それを追求(まさに学問)すればするほど、その大切さがわかってきます。

 

しかし、一点注意してほしいことがあります!

 

学問、大学の授業はもちろん大切なのですが、それだけやってりゃいいってわけでもないってことです。

 

これは、今回の話題から外れるので、簡単に話しますが、

日本の学生は今、課外活動(学生団体、サークル、バイト、インターンなど)にかなり力を入れる傾向にあると思ってます。そして、「課外活動>大学」の概念がかなり広まってる気がしてます。

しかし、そういった課外活動を行うことを批判するわけではないです。

それを行うこと自体はすごくいいことだと思っています。

 

今回僕が問題として取りあげたのは、大学の授業の大切さも理解した方がいいよということ。

つまり、授業も課外活動もしっかり両立して欲しいんです。「課外活動=大学」であってほしい。

 

僕もたくさん課外活動をしてきましたが、授業からしか得られないものもあれば、課外活動からしか得られないものもあります。

しっかり両立してこそ、学生時代のメリットを最大化できると思うので、その点については理解しておいてください。

 

  • なぜ大学の授業を大切と思えないのか

さて、なぜ大学の授業が大切なのかを考えましたが、正直、この段階で「いや、あんまり大切さ理解しきれないんだけど、、、」って人も結構いると思ってます。

 

だからこそ、一度、なぜ大学の授業を大切と思えないのかについてを考えてみようと思います。

 

 

まず、そもそも大学生の授業に対する意見ですが、おそらく一番多い意見が「大学の授業面白くない」という意見です。

 

でも、正直なところ、授業の評価者になってしまっていること自体が間違い

 

大学は学問をする場ということをきちんと理解しないといけない。

再度確認ですが、学問の定義は『自ら「問い」を立て、その「問い」を追求すること』です。

何を言いたいかというと、学問は全て主体的に行われるものだということです。

僕たちが通う大学は、教えてもらう場ではなく、主体的に学ぶ場、自分たちの学びたいこと・知りたいことを知りにいく場所であるはず。

つまり、教授や授業はあくまで、一人ひとりの学問の手助けをしているにすぎないということ。

 

大学の入学式などでよく言われたりする話ですが、大学で学ぶ人が「生徒」ではなく、「学生」と呼ばれる所以はそこにあります。

「生徒」というのは「既知の事実を学ぶ人」であり、何かを誰かから教えてもらう人のこと。

「学生」というのは「未知の予測を実証する人」であり、自ら研究を行う人のことを指します。

まあ定義の話をしたところでどうこうなるものではないですが、さっきも言ったように大学生は「主体的に自ら学ぶもの」ってことを頭の片隅に置いといてもらえたらと思います。

 

 

堅苦しいことばっかりいっても疲れるので、ここで少したとえ話ですが、

実は大学での勉強って中高時代でいう部活に似ていると思うんですよね。

 

部活は中高の授業のように与えられるものでもなく、どの部活に入るか、そもそも入るか入らないかも自由。自分でこれをやりたいと思ったものを選んで部活に入ります。

大学も同じでこの学問を研究したい、知りたいと思ってその学部に入るし、自ら選択して授業をとります。

 

では、なぜ部活は練習がつらくても楽しかったのか、なぜあれだけ頑張ったのか。

それはつらい練習の先に県大会優勝や自分の技術を向上させたいなどの目的があったからのはず。目的がなく、ただただつらい練習をさせられてもなにも楽しくなかったはずです。

 

つまり、なにを言いたいかというと、目的のない大学の授業は当然おもしろくないということ。

教養をつけることは部活でいうところの基礎体力づくり、学問することは練習にあたると思ってます。目的なしにただただ行う基礎体力づくりや練習はもちろん面白くないのと同じです。

 

結局、大学の授業が面白くないと感じるのは、「その授業で学ぶ目的がはっきりしておらず、自分の興味を落とし込めてないから」だと思うんですね。

 

 

  • 大学の授業を大切に思えるようになるためには

では、大学の授業を大切に思えるようにするにはどうすればいいんでしょうか。 

それについて考えていきます。

 

 目的を定めるということ

大学の授業が面白くないと感じるのは、「その授業で学ぶ目的がはっきりしておらず、自分の興味を落とし込めてないから」でした。

 

なので、まずは、各授業で学ぶことの目的をきちんと再確認すること。

 

かといって、そもそもの目的が分からないという人も多いはず。

 

それはなぜかというと、おそらく多くの人が、今後自分がしたいことが決まってないからだと思います。

目的は目標からの逆算で決まるもんだから、目標がなければ、目的ももちろん決まらない。

 

 

だからこそ、目標が決まってない人は、どんなレベルでもいいので、今後していきたいことを決めなくちゃならない。

 

しかし、ここでまた問題になるのが、やりたいことが分からないという問題。

僕自身はこの部分についてかなり明確な考えを持っているので、よく、やりたいことが明確でうらやましいと言われたり、やりたいことが分からないんだけど、どうしたらわかるのかなという相談をよく受けたりします。

 

そういった会話の中での経験上、どうも自分のやりたいことを「探してる」と言ってる人が多い。

こんなことを言ってしまうと迷ってる人に失礼になるかもしれないが、正直なところ、そんなもの探しても見つからないと僕は思っている。

 

というのも、やりたいことは「探す」ものじゃなくて、自分で「決める」ものであるはずだと考えているからです。

あくまで僕個人の考えですが、ここの認識がちがうひとが多い気がする。

 

やりたいことが明確と言われる僕の場合でも、考えに考えた上で選択した結果が、「エネルギー」という部門だっただけ。

言ってしまえば、ある程度まで自分のやりたい大まかな方向性などを絞ってしまえば、後はどの道を選択しても満足できると思うし、むしろ、その道を選んでよかったかどうかはその選択の後の行動によって決まると思います。

だからこそ、ある程度まで悩んだら、「これにきーめた!」って感じで選んじゃっていい気がしてます。理由や根拠なんて後からいくらでもついてきます。

 

つまり、みんな最善のひとつに絞ろうとしすぎじゃないの?ってゆう話です

 

夢ややりたいことの決め方

ここで、夢ややりたいことの決め方について、僕の尊敬する人が教えてくれた考え方を少し紹介したいと思います。

 

まずは、夢を狭い範囲で絞ろうとする場合(以下に図示)です。

 

これは、そもそもの夢を絞るのも難しく、時間がかかる上に、その夢に対してのベストな道が一本道(赤矢印)のように考えてしまいます。

そして、最短ルートの一本道を考えてしまうから、その道ばかりを探してしまい、なかなか道を決められない。そして、それ以外の道(青矢印)に進んでしまうことを恐れて、なかなか動けません。

f:id:Aritomo:20170807065847p:plain

僕の尊敬する人からの助言は、「夢は一つに設定するんじゃなくて、幅広く設定するのがいいよ、なんなら複数もてばいい」ってことでした。(下に図示)

 

そして、その夢(大目標:人生かけての目標)に近づけるのであれば、ある程度自分の志向に合っているものの中から、とりあえず現時点での中目標(十数年、もしくは数十年単位の目標)を決めてそれに取り組めばいいというものです。 

夢を大幅に設定できれば、一本道じゃなくても夢にどんどん近づけてることになるし、途中で大きく分野が変わったとしても、それでも大目標に向けて近づけてると考えることができる。

それによって、必要以上に迷ったりためらったりせずに、目標を設定してどんどん動けるようになります。

 

f:id:Aritomo:20170807065905p:plain

 

このあたりを参考にして、とりあえずは、自分のやりたいことを「決めて」みてください。

そこからきっと、学問の大切さ、教養の大切さ、さらには、大学の授業がなぜ大切なのかが分かってくると思います。

 

 

  • 最後にまとめ

とても長かったので、最後に簡単にまとめておきます。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

もう終わります(笑)

 

 

今回、「大学の授業って大切だよ」ってことを伝えたくてこのブログを書きました。(冒頭にも書いたように今最も大学生に伝えたいことだったので)

 

で、大学の授業を大切と理解してもらうために必要な要素が

・学問の大切さの理解

・教養の大切さの理解

・自分がやりたいことを決めること

この三つだと思って、その三つを分かってもらえればいいなと思って書きました。

 

まずは、自分のやりたいこと。

これを決めることで、ひとまず自分が目指すべき方向が見えます。

 

出来れば、人生かけての大目標、十数年もしくは数十年かけての中目標、数年単位の小目標を設定できるとすごくいいんじゃないかなって気がしてます。

(例として僕がどう考えてるかを書いておくと、

大目標:人と人、人と地球、人と全ての生き物が共存できる社会の実現

中目標:クリーンなエネルギーでまわる社会の実現

小目標:中目標達成のために自分がどのようにエネルギーの世界で貢献できるかを知る

といった感じ)

 

いや、「それが出来へんから困ってるんです」ってゆわれそうだけども、それは決めようとしてないだけだと思います。

いってしまえば、目標なんて、どんどん変わってもいいものだと思います。とりあえず、現時点の自分で考えられるだけの目標を決めて、それに向けて行動してみたらいいと思います。それの方がよっぽどいろいろ学ぶ機会がある気がします。

 

ざっくりいうと、

目標が決まる

特定の問題や物事について考えるようになる

学問する

教養をつけようとする(物事を考えるために)

各授業の目的が見えてくる

大学の授業の大切が分かる

 

ってゆう流れだと思います。

 

 

学問をすればするほど、大学の授業がどれだけ恵まれたものかわかってきます。

自分の知りたいことについて専門家が毎回しっかり話をしてくれる。

しかも、大学生はそれが仕事なので、好きなだけ学問ができる。

 

こんなに素晴らしいことないと思いますよ。

まあ、気が進まない人も、どうせ受けないといけない授業なんですから、授業の大切さに気付いて、大学生活を楽しんでみてください。

 

ではでは

本当に最後まで読んでいただき、ありがとうございました。